2022年09月17日

お登勢 その拾伍 つくつく法師

いつの間にか暑さが和らいでいる
洗濯物をひるがえして風が少し涼しさを運んでくれる

遠くでオーシーツクツク…とつくつく法師が鳴いている
あれは惜しいつくづく惜しい、って夏を惜しがってるんだよと言ったのはおとしさん

美味しいつくづく美味しい、って鳴いてるのさと言っていたのは
せんにお世話になっていた小料理屋の清吉親方だ

遠くの声に鳴き返すように近くの木の方でまた鳴き始めた
恋しいつくづく恋しいって、聴こえるわねとお登勢の胸のお登勢が呟く

でもひとしきり鳴き続けてから付足すように鳴く
オイヨース オイヨース オイヨース… ジーっていうのはなんなのかしら

おとしさんも清吉親方もそこはなんて鳴いてるのかわからないみたいで
あたしもなんて鳴いてるのかどおしてもわからない

でも一生懸命に鳴いて気持ちを伝えたいんだろ
子供だった頃同じ長屋の権ちゃんが捕まえて来たつくつく法師を見たけど

真夏のミンミン蝉より小さくてよくあんなに大きな声で鳴けるもんだって思ったっけ
まだ遠くで鳴いてた声が止った…

与平さんの着物ももうすぐ秋ものになるんだろな
あたしが選んだんじゃない秋の着物に…
posted by 熟超K at 11:21| Comment(0) | 小説

2022年08月21日

お登勢 その拾四 西瓜

去年もこんなに暑かったかしらねぇ
八百屋の店先で久しぶりに出会ったお登志がため息交じりにぼやきを吐いた

今年は三代さま以来の暑さだって言いますよ
こんなどうでもいいような世間話でも話す相手がいることが嬉しいお登勢

あら西瓜があるわね
そうねと答えたもののお登勢が食べたことがあるのは小料理屋に奉公していたときに
お客のお下がりの四角く切った小さなのが二度ほどあるだけ

おとしさんが言ってる西瓜がどれなのかわからない
あたしゃ暑気払いならところてんの方が好きなんだけどねとお登志

店先で話し込んでる女二人に気が付いて八百屋のおかみさんが声をかける
おいしいよ中はしっかり赤くって水気たっぷりで甘みもあるよ井戸で冷やしてやったら亭主が喜ぶよ

八百屋のおかみさんが手に取ったものを見ると黒い皮にもっと黒い縞模様のある丸い大きな瓜
これが西瓜かと見とれているとほらよとお登勢の手に渡す

おっと重いわと驚くと重いだろ実がしっかり入ってるからねとおかみさん
そうだねほらこうして実をぽんぽん叩くといい音がするんだこりゃ実が入ってるわねとお登志

なんだかわからないうちにその西瓜を買うことになりこんなお買物ができる嬉しさに財布の紐も緩む
重いのを汗かきながら家に運んで庭の隅にある井戸に縄で括って投げ込んでおく

日が暮れる頃与平がやって来る
見ると重い西瓜を下げている

あらあら西瓜冷やしてあるのよとお登勢が言うと
そうかそりゃ気が利いてるなお前と食べたくって買ってきた西瓜が

もう冷えて待ってるなんてこりゃ豪儀だ
こいつは明日にでも長屋のご隠居さんに届けておくれとにっこり笑う与平の優しさ
posted by 熟超K at 21:39| Comment(0) | 小説

2022年07月28日

お登勢 その拾参 蚊帳の広さ

あ、蚊に刺された
ぴしゃっと叩いた左の手の甲がぷつっと紅くなっている

蚊やりを焚かなくっちゃあ、とお登勢の独り言
そこへがらがらっと威勢よく玄関の引き戸が開く音

まだ陽もあるのに与平が笑顔で入って来た
お登勢は部屋が片付いてないやら嬉しいやらでどぎまぎしながらも笑顔になる

お登勢、蚊帳を買ってきましたよ
勢い込んで話す与平の額に汗の粒が吹き出し流れている

蚊やりなんか煙いだけでちっとも効きゃあしないから
今夜からこれに入れば蚊知らずでぐっすり寝られるってもんだよ

与平が持ってきた風呂敷を広げると
今、江戸で流行の緑に染められた麻の蚊帳が出て来た

子どもの時分のどぶ板長屋じゃもちろん
小料理屋の女中部屋でも蚊帳なんてお目にかかったことが無かったから

お登勢はなんだかとっても嬉しくって
自分が相好を崩して笑っているのは分かっていても

どうにも笑顔が止らない
与平が八畳の部屋の八方に鍵になった釘をとんとんやっているのを飽きずに眺めている

やがて部屋の四隅とその間の計八箇所に打たれた鍵釘に
蚊帳から出ている紐の先に付いている真鍮の輪を引っ掛けていくと

八畳間の真中に緑色の四角な小部屋が現れた
こうして裾を持ってふくっておいてさっと入るんだよと教えながら与平が入る

そのまねをしてお登勢も中に入ると辺りは緑色に染まり
先に入っていた与平と正真正銘の二人っ切りの世界にお登勢は居る

嬉しさが溢れ出して思わず涙が出たお登勢に与平が
さあ一度本宅に戻ってまた今夜来るから中に布団も敷いておいておくれと言う

なんだこのままこっちに居るのじゃないのかとふっと思いはしたけれど
そんな贅沢言っちゃあ神様に叱られると思い直して笑顔を戻す

お夕飯は用意しとけばいいのねと尋ねれば
あっちで食べて来るからお前は先に済ませて構わないよと言う

与平があちらに戻ってしばらくはなにも出来ずに半刻も過ぎ
やっと四畳半の部屋を片付け焼いた目刺しとお香こで夕餉を済ませ

とっぷり暮れた夜の座敷に
緑色して浮かんでいる四角な世界をしばらく眺め

とにかく敷いた布団を中に引き入れ終えて
まだ来ぬ与平を想いつつ布団に横になると蚊帳の広さが心に染みる
posted by 熟超K at 16:55| Comment(0) | 小説

2022年07月05日

お登勢 その拾弐 蛇の目傘

雨音が強くなってきた
入梅からもう廿日は経っているのに

たまに晴れ間があってもまだまだ雨降りが多い
綺麗好きな与平のために拭き掃除はよくしているけれど

畳も板の間も壁も皆じめっとして
どうにも気持ちが悪いからお登勢はこの梅雨という季節が大嫌いだ

今日だって寝起きの身体は汗ばんでいるし
湯屋に行ったって帰りが雨だったら浴衣も濡れる足元も汚れちまう

おまけにこれからどうしても使いに出かけなければならない自分がうらめしかった
それでも昔に比べれば与平が渡してくれるお足でいろいろ買い整えてあるから

足駄を履いて番傘を差して浴衣を羽織ればそんなに濡れずに済むはず
なんとか気を取り直して出支度して外に出る

ざぁーっと降っててばらばらばらばらっと番傘を叩く雨粒
家の中で思っていたより風も強い

それでもどうにか気を取り直し番傘を強く握って雨が顔に当らぬよう前に倒して
ぬかるんだ道を足元を気にしながらせっせと歩く

行先はお登勢の住んでいるあの家を与平に譲ってくれたご隠居さんの住む長屋
足りない分をいいよと言って与平に譲ってくれたお年寄りが亡くなるまで看る約束のお金

こればっかりは忘れる訳にはいかないけど用事がと言う与平に今回はあたしが行かせて頂きますと
自ら買って出たお役目だから雨が降っても槍が降っても今日行く理由

訪ねた先で不自由しているご隠居さんの暮らしを見かね
あれやこれやをやっていたら思いがけず夜になり

すまないねと繰り返し礼を言うお年寄りを優しく寝かせ
急いで戻ってくると思いがけず我家に灯が見え

玄関を入ると立てかけられた蛇の目傘が雫を垂らしている
与平さんとかけた声にご苦労さんと返る嬉しい声

今日はご苦労だったねと優しい労いに
一度に晴れたお登勢の気持ち

これからは重い番傘の代りに私の持ってきた蛇の目傘をお使いなさい
そんな気遣いに弾む気持ちで遅い夕餉の支度を始めるお登勢の幸せ
posted by 熟超K at 15:29| Comment(0) | 小説

2022年05月18日

お登勢 その拾壱 おとしさん

あっ、鼻緒が切れた
夕餉の支度の青物屋帰りの途中だった

ざるに一杯の茗荷、新生姜、三つ葉などの瑞々しい野菜を落とさないよう
お登勢が踏ん張った途端、下駄の鼻緒がぶつっと切れたのだ

折悪しくぽつりぽつりと落ちて来ていた雨粒が
本降りに変わり通りを歩いていた人々は我先にと商家の軒先目指して早足になる

お登勢もやっと入り込んだしもた屋の軒先で雨を避けていたが
本降りの雨はますます激しさを増し、篠突く雨の例えも霞む豪雨となった

着れた鼻緒の下駄と青物が盛られたざるを持ったまま呆然と雨脚の弱るのを待つ間
同じ軒先の雨宿り人がお登勢に声をかけて来た

あんた甲州屋さんのお妾さんだね
そう呼ばれてどきっとしたが丸顔のにこやかな顔をした老婆に気付いて警戒心が解けた

お妾さんはいいねえ、暮らしの苦労なんてないんだろ
相変わらずにこにこしながらずけずけ話しかけてくる老婆になぜだかお登勢は笑顔を返せた

あたしもね、昔は羽振りのいい大店の旦那さんに囲ってもらっていたことがあるのさ
思わぬ老婆の打ち明け話にお登勢も聞き耳を立てる

自分の話を聞いてくれる人に久しぶりに逢ったとでも言うように老婆は熱心に話を続ける
あたしだって昔はこんなに皺くちゃじゃぁなくって好い女だって言われてたんだよ

おっかさんが生きてたらこのくらいだったのかな、と思うと自然に優しい笑みがこぼれる
ああ、あんた鼻緒が切れちまってるんだね、困るだろそれじゃあ、おばさんが挿げてあげるよ

言うと、お登勢の手の鼻緒の切れた下駄を受け取り、懐から取り出した端切れを割いて紐を撚る
手際よく挿げ替えた下駄をお登勢に渡すと、どうだい具合は、と訊く

足指の収まり具合を確かめながら礼を言うお登勢に向かって手を横に振りながら、いいよいいよと笑う老婆
ありがとうおばさん、あたし登勢って言います、おばさんのお名前は?

名前なんて、そりゃまあ一応親が付けてくれたのがあるけど…登志、がわたしの名さ
お登志さんですね、あたしと良く似たお名前だこと

そうだねぇ、似てるって言えば、似てるねぇ
あたしの親父が、いつも上に登る志ってもんを持つんだぞって付けてくれたらしいんだけど

そうなんだやっぱりこのおばさんの親も、あたしの父ちゃんと同じようなこと言ってたんだ
死んだおっかさんが、初めて奉公に出るとき同じようなことを言っていたのを思い出したお登勢

勢いよく登れよって、酔っ払っておとっつぁんが言ったんだけどね、っておっかさん泣き笑いだった
あんたも上に登る気があるんだろ、と老婆が真顔で話しかける

ええ、でも、もうそんなこと、考えてないんです
だめだよ、考えとかないと、毎年毎年盆も正月も迎えてるうちに、おばさんみたいに皺が寄ってくるよ

あんたの旦那さんがいつまでもあんたを大事にしてくれるとしても
いつかは世の中もお金回りもご本宅の事情も変わって、一人で算段しないといけない時が来るのさ

おばさんみたいになる前に、旦那さんが好い人でいるうちにね
なにかあんたが本気でやってみたいって思うような、習い事でも始めとくと、きっと先々助かるよ

親身な言い方にお登勢は有難い、と思う気持ちがこみ上げて
分かったわお登志さん、あたしなにか習ってみたいこと探します、と頷きながら老婆の手を握る

気が付くと雨足は弱くなっていて、気の早い連中はもう通りに飛び出して行く
また逢おうねと互いに口に出し、お登志とお登勢は別々の方角に向かって歩き出す

posted by 熟超K at 15:55| Comment(0) | 小説