2020年11月14日

男女男の物語 承之編

〜筋交い棒〜
女が一緒に暮らし始めると、朽ちかけていたあばら家に生命が灯り
埃が払われ、破れ障子が余り紙で塞がれ、寝ていたぼろ布団も陽に干されて、どうにか家らしくなってくる
そうなれば大工見習いでも、手に職のある年上男の目にも直せば良くなる所が見えてくる
大工の棟梁に、手間賃の一部を余った材木や板、釘や鎹でもらえないかと頼み込んだ

休みの日には屋根を直し、思ったよりしっかりしていた柱の間に筋交いを施し、外壁に板を張り増した
雨の日は、内壁にも板を張り足し、雨風が吹き込まないように工夫し、女の為に押入れなどを拵えた
若い男の方も、日に日に良くなる住まいの様子に、お店で頂く給金から鏡台を、鍋釜を、箸や茶碗を整え
町で商われている魚や野菜や米を持って帰った

若い男は、口入屋の紹介する小間物屋や古着屋の仕事にせっせと励んで、客の女衆の評判が良く、店の主人や番頭に頼りにされた
そうやって得た給金で、月に三晩の暇をもらって三人の家に帰り、土産の一升徳利で、楽しい夕餉を飾るのが大の楽しみであった

〜花見〜
ある春の雨の日、大工の仕事が休みだった年上男が仕事道具の手入れをし、女がお苦土の灰を掻き出していると、お店の主人の家で慶事があって、早じまいになった若い男がひょっこり家に帰って来た
雨はどうだ、と訊ねる年上男に、そろそろ上がりそうな塩梅ですよと、若い男が返事して、これ土産ですと宴の料理を折りに詰めたものを出し、これから皆で花見しませんか、と誘う

いいなぁそいつぁ豪儀だ、と年上男が弾んだ声を出し、女も華やいでうふふと笑う
三人で土手に上ると、雨は止んでいたものの、土手の草草で皆足元が濡れ、それが可笑しいと三人で笑う
大川の向こう岸に、迫る夕闇にくっきり白く浮かぶ桜の木が三本、春の盛りを見せつけている
少しだけ残っていた徳利の酒を、大事に大事に三つの茶碗に分けて、ゆっくり味わう花見酒に微かに酔う三人

〜蛍・紫陽花〜
やがてめっきり暖かくなった夜、夕餉の酒盛りの後、いつもはそんなに酔わない若い男は酔いつぶれ、それが夜中に喉の渇きでふと目覚めると、男と女の押し殺した睦声が漏れ聞こえて来た
その声の意味は、さほど経験の無い若い男にもはっきり分かり、そのまま辛抱していたが、ついに堪らず、厠に行かなぁなどと、もごもご言いながら家の外に出た

夜が白むのを待ちかねて、若い男は町に戻るべくそっと起きると、女はもう起きていて、握り飯を用意してくれていたのだった
若い男が町に出かけたのを確かめて、年上の男が寝床から起き出て来ると、女は笑顔でおはよう、と言った
男は無精ひげの顎を、ぽりぽり掻きながら、まいったなあ、とぼそり、女の用意した朝餉に向かう

それから九日、若い男が家に帰ると、女が笑顔でお帰り、と言い、年上男は壁に棚を作っていた手も休めず、おお、とだけ言った
その夜、寝静まってから、また年上男と女がもぞりと動き始め、若い男はまた、厠に行かなぁ、と言い残して大川土手に上り、真っ黒い川に向かって溜めていたものを放つと、驚いたのか蛍がふわっと光って宙に消えた

翌朝、また早い時刻若い男が起きると、握り飯が用意されていて、それを持って町に戻り、九日が経つ
晩飯を三人で食べて、夜がとっぷり暮れる
寝ていた若い男に吐息がかかり、熱くて柔らかい女の手が堅くなっているものをそっと包み込む
驚いて声も出せないうちに、柔らかく滑やかな女の手が動いて、若い男の情も欲も猛りも解きほぐす

そんな夜が明け、若い男が目を覚ますと、土間の竈の鍋から味噌汁の香りが漂っている
男と女と男の三人で、朝餉を囲んで、それから若い男は町に、年上の男は大工の仕事、女は洗い物を
若い男がお店で若やいだ女房衆や、佳い家の娘たちを相手にしている頃、年上の男はお大尽の別宅の建築場で、すっかり任せられている家造作の取り仕切り小頭として、見習い大工たちを指図して日を過ごす

新築工事が佳境を迎え、年上男は普請の現場に何日も居続け、家に戻れぬ日を送っていた
若い男がお店から戻って、女と二人で夕餉を終えると、なんにも言えない夜が深まる
押さえられない自分を押さえて、女に寝ようかと言うと、あんた先にお休み、わたしは繕い物があるからと女は返し、それでも抱き寄せて来る若い力に、わたしの身体はあの人のもの、この手と指があんたのものなの

たじろぐ若い男に女の手が伸び、三人の家を守ろうと、男も女も心を押さえ身を押し殺し、泡沫の夜を喘ぐ
押さえ切った欲の夜が明け、心開いて迎えた朝の、明けた板戸の向こうに見える、青い大きな紫陽花を見て
わたしはあの花が好きなんだと、女がぽつりと言うのを聞いて、きれいな花だよなあ、と男がうなづく
じゃあ行ってくるぜと、若い男が出て行った後、女は洗い上げもせず、外の紫陽花を見続けていた

〜線香花火〜
夏の暑い盛りがようやく体に馴染んで、夕刻に少し秋の気配を纏う風が吹くころ、年上男が棟梁から分けてもらった土産を持って帰って来た
珍しく、早いうちに帰っていた若い男が、なんだいそりゃ、と浮かれた声を掛け、女が夕餉の支度の手を止め、なんですよ、と言うと、年上男が、こりゃ線香花火ってもんだ、と答える

夕餉が済むと、年上男が、俺らの花火大会をやるぜ、と皆を誘う
そう言えば大川の花火も今頃だねぇ、と女が若やいだ声を上げ、若い男が、そりゃ豪儀だぜ、と盛り上げる
三人で土手に上り、女が用意した蠟燭灯を囲み、各々線香花火を手にして一斉に火を移す
こりゃあ静かにやる花火だってぇことだ、静かに持つんだぞ、と年上男が心得を話す間もなく、炎が強くなる

最初のうち、あたしゃ初めてなんだよ、花火なんてやるってのは、熱いんじゃないかい、などと言っていた女は、赤く固まった丸いところから、ちゃっちゃっ、と火花が吹き出し始めると、黙って強く眺めた
若い男は、少し遅れて火花を吹き出し始めた己が火玉に震えが伝わらぬよう、必死に花火の紙を宙に留める
年上の男は、そんな二人を満足げに見ているうちに、あっけなく火玉を落としてしまい、ははっと笑う

一番最後に、女の持つ火玉が、本当に弱弱しく小さな火を飛ばしながら、すぅっと闇に吸い込まれ、三人の花火大会が幕を閉じた
さあ、おしめえだ、と年上男が言って立ち上がると、女がため息ひとつため息ついて、だね…、と応える
それでも若い男はなんにも言わず、その場にしゃがみ込んだまま、薄くなった花火の名残を闇に探した
posted by 熟超K at 15:59| Comment(0) | 時代小説
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