2023年04月23日

お登勢 その弐拾弐 卯月春の嵐之前

昨夜はしとしと雨が降っていたのに
明るくなると青空になっていて
鳥の鳴く声がよく響いて風に春から初夏に変わる匂いがする
でもお登勢の目にはそんな晴れ晴れしい季節も色褪せて映りおる
与平が忙しさにかまけてこの家を訪れていない日がもう七日も続いているから

ちょっと首を振って気分を変えようとしたお登勢の耳に玄関の方から誰か呼ぶ声が聞こえた
女のか細い声が自分を呼んでいる
もしお登勢さんのお住まいでしょうかと呼んでいる
は〜いと返事して庭から座敷に上がってそのまま四畳半に入ると
玄関の障子戸が少しだけ開いていて隙間から人の立っている影が見える

まさかあたしんとこに訪ねてくる人がいるなんてと訝りながら
もしかしておとしさんかなとも考えてみたけれどやって来る理由がわからない
も一度はーいと返事してがらりと戸を開けると見たことのないよい身なりの女の人が立っていて
お登勢さんでございますねと口を利く

わたしは八丁堀に居を構えますさる大店の主より託けを申し付かって参った者でございます
こちらのお方と手前どもの主が双月に二度もぶつかるご縁があったとか
これはなにやら前世のご縁かはたまた神仏のお引き合わせか
一度しっかりお目にかかってお話など伺いたいと申すのでございます

そんなこと仰られてもあたしにはそんな縁など分かりようもございませんと
声に出してお断りせねばと思うものの
あのときぶつかった恰幅の良い大店のご主人の大きな笑顔も思い出され
なんと返事をしたらよいものかと戸惑ううちにその女の人は

それでは今からご案内仕りますのでどうぞお出かけのご用意をと涼やかに申される
もともとお登勢は場の勢いで流されるようなことのない女だと自分を信じているものの
こんな上品な女の人に逆らう言葉も持ち合わせぬ身ゆえ
ただなんとなく己が運命の流れる方向を確かめてみたくもなってそれでは支度しますので
と返事することになりゆきた

玄関の上がり框に座布を用意し
自分は奥の八畳間にて与平に買ってもらった黄八丈にいそいそ着替え
姿見に映して見てからお待たせしましたと迎えの女の人の前に出る
まあお似合いでと言う言葉にまんざらでもなく気分も浮いてお登勢は一歩踏み出した
posted by 熟超K at 22:24| Comment(0) | 時代小説