明日は正月というのに、しんとした四畳半の部屋で一人火鉢の火に手をかざしながら
お登勢の心は冷え込んでいた
師走ともなれば与平のお店の商売も大忙しで
今月はまだ二日、それも泊りもせず顔を出したかと思うとじきにそわそわして
本宅に帰ってしまう与平だった
十三日にはこの家もしっかり煤払いして
正月支度のあれやこれやも知っている限りはやり尽くしたつもりではあったが
肝心の与平がとんと顔を出さない
いや出せないのだよと言ってはいたが
それほど商売繁盛で結構じゃあありませんかと皮肉を言った積りが真顔でありがとうと礼を言われる始末
どうにも心がむしゃくしゃ揉めて
与平が置いて行った年越しのおあしを持って
近場の歳の市でしめ縄の買い物ついでに羽子板市を見物に出かけたりもした
いっそ浅草寺にまで足を延ばせばなんでもありそうだが
さすがにそこで散財してしまうほどの度胸もありはしなかった
今日も今日とて行く先決め図の町歩き
大通りに面したお店の店先には葉を茂らせた背高の門松が立てられ
お神酒徳利の口飾りを売り歩く行商人や古いお札を集めて歩く札納めも出ていて
暮れの賑わいがお登勢の心を幾分かは紛らわせてくれた
それでも家に戻れば自分一人きり
掛取りに追われることはなくなったものの
世間の誰にも声も掛けられない自分という者がとても小さく侘しく感じる年の瀬だった
与平からもらった金で賃餅も用意できたし
もし三が日に与平が来てくれたら食べてもらう節も酒も整っている
遠くの表通りで節季候(セキゾロ)の練り歩く音が聞こえている
ふっと年越し蕎麦でも食べてやろと思い立ち火鉢の炭に灰を被せ
家の戸締りをして再び町に出て行くお登勢
明日になれば正月が来る
2021年12月31日
お登勢 その六 大晦日
posted by 熟超K at 21:59| Comment(0)
| 時代小説
2021年12月05日
お登勢 その五 火鉢
ぱちっ、と炭が跳ねた
束の間うたた寝してたんだろうか
火鉢の炭がまっ赤になってお登勢の頬が熱くなっている
慌てて灰を火箸で赤くなっている炭に丹念に寄せて
これ以上火が熾らないように加減する
青地に緑がかった大ぶりの八角火鉢は与平が先一昨日持ち込んだもので
火熾し用の十能と火箸も一緒に持って来てくれたし
ご丁寧に灰も五徳もしっかり用意されているという至れり尽くせりに
お登勢は有難がるばかりだった
早速翌日炭を買いにいって高くない方の楢炭にしたものだから
こうして時折炭火が跳ねるということになったのをお登勢は知らなかった
貧しい暮らしだったお登勢と母親の二人暮らしでは火鉢も炭も無縁だったし
父親のいた頃の暮らしは幼すぎて覚えていなかった
冬という季節はひたすら母子で片寄会って忍ぶだけの大嫌いな三ツ月だった
その日は本宅からくすねてきた少しだけの炭を火鉢に入れて
火の熾し方を教えてくれた与平と
よく似た炭火の暖かさは
かざす掌から心の芯にまで染み通る不思議な温もりで
お登勢はあったかだね嬉しいねと心で何度もなんどもつぶやいて
与平の固太りの体に寄り添いながら当てた我が耳奥の強い心の臓の鼓動に
真から男が大事に思えて幸せに浸り切りながら
身も心も解け揺蕩う夜を過ごしたものだ
がらりと戸が開いて
「おお、さぶっ」と言う与平の声が聞こえたとぼんやり気付いたとき
八畳間の襖を開けて部屋に入って来るなり
「くさっ、お登勢、そっちの戸を開けろ!」と大きな声が響いた
慌てたお登勢は少しよろっとしながら立ち上がり小庭の障子を開け雨戸をずらす
「炭の火は変に熾したままにしてると毒気を出して死んじまうことがあるんだ」与平が真顔で言った
じきに部屋の空気が入れ替わり寒くもなったが
それはまた二人で暖まればいい
ひとつ賢くなったお登勢の胸の内に
ずっと先になってすごく辛い日がまた続くようになったら
炭の火でこの世から旅立つのも悪くはないね、という想いの火種が点いた
束の間うたた寝してたんだろうか
火鉢の炭がまっ赤になってお登勢の頬が熱くなっている
慌てて灰を火箸で赤くなっている炭に丹念に寄せて
これ以上火が熾らないように加減する
青地に緑がかった大ぶりの八角火鉢は与平が先一昨日持ち込んだもので
火熾し用の十能と火箸も一緒に持って来てくれたし
ご丁寧に灰も五徳もしっかり用意されているという至れり尽くせりに
お登勢は有難がるばかりだった
早速翌日炭を買いにいって高くない方の楢炭にしたものだから
こうして時折炭火が跳ねるということになったのをお登勢は知らなかった
貧しい暮らしだったお登勢と母親の二人暮らしでは火鉢も炭も無縁だったし
父親のいた頃の暮らしは幼すぎて覚えていなかった
冬という季節はひたすら母子で片寄会って忍ぶだけの大嫌いな三ツ月だった
その日は本宅からくすねてきた少しだけの炭を火鉢に入れて
火の熾し方を教えてくれた与平と
よく似た炭火の暖かさは
かざす掌から心の芯にまで染み通る不思議な温もりで
お登勢はあったかだね嬉しいねと心で何度もなんどもつぶやいて
与平の固太りの体に寄り添いながら当てた我が耳奥の強い心の臓の鼓動に
真から男が大事に思えて幸せに浸り切りながら
身も心も解け揺蕩う夜を過ごしたものだ
がらりと戸が開いて
「おお、さぶっ」と言う与平の声が聞こえたとぼんやり気付いたとき
八畳間の襖を開けて部屋に入って来るなり
「くさっ、お登勢、そっちの戸を開けろ!」と大きな声が響いた
慌てたお登勢は少しよろっとしながら立ち上がり小庭の障子を開け雨戸をずらす
「炭の火は変に熾したままにしてると毒気を出して死んじまうことがあるんだ」与平が真顔で言った
じきに部屋の空気が入れ替わり寒くもなったが
それはまた二人で暖まればいい
ひとつ賢くなったお登勢の胸の内に
ずっと先になってすごく辛い日がまた続くようになったら
炭の火でこの世から旅立つのも悪くはないね、という想いの火種が点いた
posted by 熟超K at 14:48| Comment(0)
| 時代小説