2021年11月15日

お登勢 その四 寝床

今夜は与平がやってくる日だ
お登勢は昼間干しておいた日差しの暖かさが残ってる夜具の方をちらっと見てふっと笑みをこぼした
知らずこぼれた笑みに気が付いて一人かぁっと顔が熱くなった

もともと母親と二人で長屋に住んでた頃でも暖かい布団なんてめったに寝たことはなかったが
それでも母親の寝息が聞こえる夜は気が休まって穏やかな夢を見ていた気がする
それが、母親の遺体をまだ棺桶に入れられず並んで寝た夜、その翌日に一人ぼっちで寝た夜
長屋を出て大家が世話してくれた飯屋の二階の物置部屋で一人布団にもぐって涙こぼしてた夜
冷たくって埃の臭いのする布団で寝るのが辛かった

想いもかけず与平の世話になって今の家に住むことになり
ふかふかの客布団で与平の温もりに包まれて大人の女の喜びを知ってからお登勢も幸せが味わえた

なんでもないのにきっちり敷かれた布団の傍を通るたび
つい掛布団の縁を直すのもこの家に住んでからの可愛い癖だった

もう夕餉の支度は八分方出来上がっている
後は汁を温めお燗をつけて釜から移してあるおひつの温かいご飯を与平によそってあげるだけ
与平から勧められればあたしも少しお酒を頂けるかしらと思いつき自分用の杯もそっと用意した

冬の陽はとうに落ち辺りはとっぷり暗さが増して
風で揺すられて玄関の戸ががたっと鳴るとお登勢ははっとして姿勢を直すが
後に続く与平の声がいつまで待っても聞こえないのでまたがくっとうなじが垂れる

隣の八畳間の布団はもう暖か味が残ってないんじゃないか
おひつのご飯も随分冷めてしまったんじゃないか
それにしても今夜の与平は遅いんじゃないか
なにか本宅から出られない用ができたか、ここまで来る途中に誰かに会って長話
それともそれとも…お登勢の頭の中で考えたくないことがぐるぐる渦巻いて息が苦しくなる

そのとき玄関の戸が開いて待ちかねた与平の暖かい声がした
お登勢は急に体に血の気が甦ってしゃんとした返事が胸から飛び出す
「お帰んなさい、あんた」勢い込んで立ち上がったお登勢の背中に寝床は隠れて
おどけた顔で「参った参った」と言い訳してる与平には見えていない
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posted by 熟超K at 17:16| Comment(0) | 時代小説